何のためにそれをやりたいのか?ビッグ・ホワイ
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2014/09/28
何かめんどくさいことをやらされる場合、その意味を教えてもらうとモチベーションが続く場合があります。
例えば、プリンターの紙がなくなりそうだったら、次の人のために補充する、と言った一見当たり前のことでも、やることに抵抗する人もいます。次に使う人が無くなったら補充したらいいじゃん、という考え方です。
しかし、次に使う人が非常に急いでいて、すぐにデータを出さないと間に合わない、と言ったような場合に、プリントできているものと思って取りに来たら、紙が足りなくて最初の数枚しか印刷できていなかったら、重要な会議に間に合わないかも知れません。
そうした具体的な理由を知れば、面倒なこともやる気になれますが、普通に生活していると、なかなかそうした知恵は自然には身に付きませんし、やろうという気にもなれないでしょう。
でも、重要な会議にプリントが間に合わなくて企画が通らなかったら、その部署そのものの評判も落ちるし、成果も出ず、給料もボーナスも上がらない、という理由があれば、紙を事前に補充する位のことはやるでしょう。
つまり、何のため、というのが明確であれば、面倒なことでもやれる、ということです。
逆に言えば、簡単なことでも、何のためにそれをしなければならないかがわからないものはやらないでしょう。
そして、めんどくさくなればなるほど、大きな理由が必要になります。これがビッグホワイと言われるものです。例えば、勉強してクラスで1番になったら、3億円あげるよ。3億円あれば、一生遊んで暮らせるよ、と言えば勉強するようになる高校生はいるかも知れません。あるいは、営業成績1位になれば、1000万円の賞金を出す、というのもよいかも知れません。
マラソンで疲れて倒れた選手にあと100m先に100万円の札束が落ちている、そこまで走れたら100万円は君のものだ、というともう無理、と言っていた選手が走り出す、という話もあります。つまり、もう無理、もうダメ、と言っても、もっと大きなビッグ・ホワイがあれば、もっと頑張れます。頑張れないのは理由が小さいからでしょう。
人生最高!のウソ?とリフレーミング
どんなときにもピークステートで、人生最高!と叫べば、人生最高になるのでしょうか?
例えば、オリンピックの優勝を目指している選手が1回戦で負けて、人生最高!と叫ぶべきでしょうか?
あるいは、東大を目指している受験生が、F判定を受けても、人生最高!と叫ぶべきでしょうか?
それは、そのときにその人の考え方によると思います。
1回戦負けしても、よし、まだまだ伸びしろがある、それに私が負けた選手は、ベスト8に残った、私もあの選手に勝ててたら、ベスト8だったので、かなり実力が伸びている、と考えるなら、人生最高!と叫んでもよいと思います。
しかし、1回戦で負けて、これでよかった、もし勝ったりしたら、もっと強い選手と当たってぼろ負けして自信を失うかもしれない、だから、早めに負けてよかった、などと後ろ向きの考えで、人生最高!というのは止めた方がよいと思います。
つまり、失敗したときも人生最高!と言うことは全く問題ありません。なぜなら、失敗を生かして次に成功すればいいだけですから。
そういう意味で、どんなに失敗して、どん底にいても、人生最高!ということは悪くはない、と思います。
しかし、そういう時、チクショウ、今度は何が何でも勝ってやる、と猛然と練習を始める人もいます。そしてそういう選手は次の大会では上位に入賞したりします。
負けても平気な選手と、負けて泣いて悔しがる選手のどちらが強くなるかは言うまでもないでしょう。
つまり、負けて、人生最高!次は何が何でも勝つ!そのためにはどんなことでもやる!と言える人は人生最高!と叫んでもいいですが、負けて、たまにはこういうこともあるさ、人生最高、しばらく練習をサボって気分転換でもしよう、今回は負けてよかった、もし勝ち進んで日本選手権まで行くと飛行機が事故にあって死ぬかも知れないし、などとなるのであれば、人生最高というべきではないかも知れません。強烈に痛みを感じ、そこから脱出するために命がけの努力をすべきでしょう。痛みを感じた方が成功できるならリフレーミングはすべきではないと思います。
人が必死で全身全霊をこめて練習や努力をしているとき、人生最高!などという言葉は不要でしょう。ただ、無我夢中で、次回必ず勝つ、という気持ちで頑張ることは、人生最高!という言葉以上の喜びをもたらすものですから。
英語に吐き気がする場合のやる気の出し方
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2014/08/01
最近英語ばかり読んでいるからか、英語の翻訳をやっているとちょっと気分がよくない感じがする。
以前はしばらくぶりだったので、気にもならなかったことが、何となく始めるだけで疲れる感じがしている。
なぜそうなるのかは不明だが、ちょっと英語をやり過ぎて単に疲れているだけかも知れない。
問題点があるとすれば、わかりにくい修正だと面倒になる。本当に必要な修正であれば問題はないのだが、単純に単語を揃えるのはあまり意味がない気もする。もちろん訴訟になれば問題になりうるのでやるに超したことはないが。
後は期限がタイトで例えば今日の夕方まで、とかだと楽しんでやる余裕はない。これがかなりゆっくりできる締切であれば気楽に楽しみながらやっていけるのだが。
やはり何事も義務でやるしかない状況はあまり精神的によくない気がする。こんなときでもピークステートを保つにはどうすればよいか?
嫌な感情を一瞬でピークステートに持っていけばよい。
勉強にしてもトレーニングにしても、何となく気分が乗らないときがある。そういうときはピークステートに持って行けば良い。
どんな名選手でも気分が乗らず、練習やトレーニングを休みたくなるときはあるだろう。そんなときでもピークステートになり、フロー状態で練習やトレーニングができれば名選手になれると思われる。
山口真由 誰よりも努力したから誰よりも大きな成果を得るのは当然
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2014/03/18
マーケティング・コーチの今日の名言です。
【名言146】
私は、自分が東大法学部を首席で卒業したのは当然だと思っています。下手をすると放漫だと捉えられたりもします。でも、それでも私は言います。誰よりも努力したから、誰よりも大きな成果を得るのは当然だと。
(山口真由著「天才とは努力を続けられることであり、それには方法論がある。」(扶桑社)より)
山口真由弁護士の言葉ですが、イチローの言っていることとも共通しているように思います。
誰よりも努力したから、誰よりも成功できる、というのは誰もが知っていることでしょう。
しかし、多くの人は、そりゃあ成功はしたいけど、そこまで努力してまで成功したくない、と思うのではないでしょうか?
山口真由さんは、司法試験の短答試験の前には、1日19時間30分間も勉強したそうです。
睡眠時間は3時間、食事は20分、お風呂20分と決めて、母と10分電話で話すことだけを息抜きにして残りの19時間30分を全て勉強に注ぎ込んだそうです。
すさまじい話だと思います。東大生でも1日12時間も勉強したら吐き気がする人が多いと思いますが、ほぼ20時間も法律の勉強ができると言うのはすごすぎます。これだけ努力できれば合格しない方がおかしいでしょう。
そして、大学では、162単位を取得して、全優。大学3年で司法試験に合格し、4年では公務員試験に合格して財務省に入省と絵に描いたようなエリートコースを邁進します。
そして、今でもおそらく読むのが一番早い弁護士としての努力を積み重ねているようです。
誰よりも努力したからこそ、誰よりも大きな成果を得るのは当然、と言えるだけの努力をしたいものです。
好きなことを楽しめ、頑張らなくていい、等というのが最近の流行語のようになっていますが、成功している人はそれだけの努力をしているのでしょう。何かを成し遂げたいと思ったら、限界ぎりぎりまでの努力をすれば、壁が突破できるように思います。
山口真由さんのように限界まで勉強できるようになりたい人はこちらをご覧下さい。
ウィリアム・W・アトキンソン 大切なのは「楽しさ」と「興味を持ち続けること」
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2013/12/25
マーケティング・コーチの今日の名言です。
【名言130】
大切なのは、「楽しさ」と「興味をもち続けること」です。これさえできれば自然にことが運びます。
(ウィリアム・アトキンソン)
何か新しいことを始めようとすると、多くの場合、何等かの抵抗が起きます。そんなときでも、「できる、やれる」と楽しく歌い、真剣に取り組みましょう。
すべきことを明確にして、計画を立てたら、それを実行する際には、楽しくやることです。
それにより行動の習慣が身に付きます。思いを「行動に移す」ことが重要です。
(ウィリアム・W・アトキンソン「引き寄せの法則」)
人生で成功するには、好きなことで得意なことをやればいい、という人もいます。
永続的に成功するビジョナリー・カンパニーは、得意なこと(自分が世界一になれること)、情熱を持てること、計測できるものの共通部分をやることで永続的な成功を持続できます。
好きで得意なこと、情熱を持てることで得意なことをやれば成功できますが、楽しみながらやりたいものです。目の前の仕事を楽しみましょう。