基準を上げる達成の科学と、現状への満足、感謝 充足の芸術
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2015/10/25
目標達成の場合は、自分の基準を上げる、raise your standardと言われます。これは常に上を目指して自分のスタンダードを上げて行く、ということで現状に満足せずに、常により上を目指す、というのは停滞しないためには必要なことです。
現状で満足したら終わり、とも言われます。例えば、テストで90点取れたからもうこれでいい、とか、会社で部長になれたから、あとはあまり無理せず普通にやって行こう、という感じです。
そしたら、そのレベルで終わってしまいます。
県のチャンピオンで満足するのか、全日本で優勝したいのか、はたまた世界チャンピオンを目指すのか?
基準を上げて行けば世界チャンピオンを目指すはずです。あるいは史上最強のチャンピオンを目指すかも知れません。
しかし、これとは別に、現状に感謝する、という充足の芸術というのがあります。
例えば、県大会でチャンピオンになれた、ありがたい、と周囲に感謝する、という気持ちです。
県大会で優勝したのは、基準を上げたからで、本当は全日本チャンピオンを狙っているので、こんなところで止まっていたらない、という考えもあるでしょう。
しかし、だからと言って、周りの協力があったからこそ優勝できたのだから、皆に感謝するのもまた当然でしょう。
つまり、基準を上げて史上最強のチャンピオンを狙うのは当然ですが、その過程で例え、試合で負けたとしても、それに対して感謝するようにすればいいのではないでしょうか?
負けたということは、何かが足りなかったわけで、それをわからせてくれたわけですから、次にまた頑張ればいいということです。
そして、最後までチャンピオンになれなかったとしても、コーチや監督になって次世代のチャンピオンを育成する道もあります。
基準を上げ、世界最高、史上最高を目指して猛練習したとしても、必ずしも全員がチャンピオンになれるわけではありません。
しかし、感謝しながら猛練習するのと、誰かのために義務的に無理矢理やっているのとでは全く感覚が違うと思います。
自分の好きなスポーツを思う存分できることだけでも、どれだけ周囲に助けられているか、会社やスポンサーにどれだけ助けられているか、を思えば、感謝できるはずです。
そうした感謝の心を持って猛練習することで、よりパワーが出るのだと思います。
先制の戦略 ジェイ・エイブラハム
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2015/10/25
ジェイ・エイブラハムのハイパワー・マーケティングという本には、シュリッツ・ビールの先制の戦略の話が出ています。
これは、シュリッツ・ビールがやっている醸造方法を詳しく公開したというマーケティング方法です。
シュリッツ・ビールの醸造方法が新しいか、と言えば、そんなことはなく、他のビールメーカーも皆ほぼ同じような醸造方法を採用していました。しかしながら、他社はそうした醸造方法を公開せず、特に広報もしていませんでしたから、一般大衆は知らない状態でした。
そんな状況で、シュリッツ・ビール社は、酵母は何千種類もの酵母を試験して最適なものを選択している、地下水は地下Xメートルからくみ上げ、さらに蒸留を2回もして使っている、など、醸造方法を細かく説明しました。これを見て、一般大衆は、それはすごい、と感心し、シュリッツビールを飲むようになりました。
つまり、そんなにすごい方法で作っているんだ、ということで、人気になり、業界15位だったシュリッツビールがなんと、業界首位に躍り出たというのです。
つまり、業界内では当たり前だけど、世間には公開されていない方法を公開するだけで、その商品がバカ売れするようになる場合もある、というわけです。
今は、ソーシャルメディアのフェイスブック、ツイッター、アメーバブログ等や、youtube、ニコニコ動画等でそうした情報も簡単に発信できますから、他社に先駆けてそうした業界内では当たり前だけど、一般大衆が見れば驚くような情報を提供することで、売上を上げることが可能です。
ジェイ・エイブラハムの戦略は大量にあるのですが、そのうちの1つだけでもきちんと取り入れれば、売上がアップする可能性が高いです。
ジェイのマーケティング戦略は学ぶだけでなく、実際に実践することが重要です。
そのような意味で、ジェイ・エイブラハムのマーケティング戦略も含めて売上アップコンサルティング&コーチングもやっておりますので、ご興味のある方は以下からお気軽にご相談下さい。
自己重要感が満たされていないコンサル型コーチの問題点
以前、早稲田大学卒のコーチを付けていたことがありました。
私は東大卒ですから、早稲田大学に入るのはいわば失敗という感覚を持っていました。
ところが、そのコーチは自分は早稲田大学出身だから頭がいい、と何かの時に自慢していました。
これはちょっとびっくりしました。クライアントよりもレベルが客観的にレベルが低いにも関わらず、早稲田に入ったことを東大卒の人間に自慢するか?という感じでした。
早稲田大学出身のコーチを実は3回ほど受けたことがあるのですが、あるコーチは、自分は早稲田に1浪で入ったから成功者だ、と言っていました。
東大生の感覚からいえば、一浪で早稲田大学は失敗のケースです。それにも関わらず、3人とも自分が早稲田大学卒なので、優秀、という自己イメージを持っていました。
まぁ、自信を持つこと自体は決して悪いことではないですが、それをクライアントの東大卒の私に自慢そうに話すのには違和感を感じました。
これは、コーチの中にも基準の低い人もいる、ということです。
例えば、クライアントが全国で1番になりたいと思っていても、そういうコーチはそこまで頑張らなくてもいいんじゃない?とクライアントの足を引っ張ることを言ったりします。
それは基準が低いからです。
おそらく、早稲田大学出身のコーチであれば、早稲田大学に入れれば、成功、という基準を持っているのでしょう。すると、クライアントが東大でなければダメ、と思っている場合には適切なコーチングは難しいでしょう。
これは、リッツカールトンの、自分が幸せでなければ、顧客を幸せにできない、というような話と似ています。
つまり、自分が成功した分だけしか成功させることは難しいのではないか?ということです。
例えば、高卒のコーチが東大医学部に入りたい学生をコーチングしてもおそらくうまくいかないと思います。最低でも東大卒のコーチが必要でしょう。でなければ、戦略が見えないからです。
例えば、アンソニー・ロビンズがコーチをしたとしても、おそらく東大には入れないような気がします。
また、スポーツの大会で入賞したことがないコーチが、大会で優勝したいという選手をコーチングするのも無理があるように思います。
つまり、自己重要感だけは高いけど、基準の低い、ティーチング型のコーチはかえってクライアントの足を引っ張るおそれすらあります。
クライアントが何とか高い基準に達しようと覚悟しているのに、そこまでやらなくてもいいんじゃない?とつい本音を言ってしまうのです。
それがコンサル型コーチで基準が低い人の問題点だと思います。
低い基準でいいんじゃない?とか言うのであればむしろ何も言わない方がマシだと私は思います。
もちろん、できるかどうかわからない、という不安を抱えている人であればいいですが、背水の陣で絶対に成し遂げたい、という気持ちのクライアントに、そこまでできなくていいんじゃない、というのは足を引っ張っている以外の何物でもありません。
基準の低いコーチは、自分より上の人、コンフォートゾーンの高い人は無意識に不快なのです。そういう意味で、レベルの低いコーチで、しかも、コンサルティング型でどんどんフレームワークを押し付けてくるコーチは、本当に背水の陣で全力で頑張るつもりの人の場合は雇わない方がよいと思います。
私の場合は、東大卒で、博士号も持ち、大学院大学の教授もやったことがあり、内閣府の委員や数億円の研究費の審査委員もやっています。週刊誌に取材されて記事が乗ったり、記者会見もやったことがあります。そういう意味で、それが私のスタンダードになっています。ですから、クライアントがどんなに大きな成功を希望したとしても、そこまでやらなくていいんじゃない?というような寝ぼけたことは言いません。
本当に目標を達成したいのであれば、やはり、その世界で成功体験のあるコーチを雇うべきだと思います。
目標達成の科学と充実の芸術
目標達成するためには、達成の科学が使えます。これは目標を明確にし、背水の陣で、絶対的決断の状態で大量行動することで達成できます。この場合は常に基準を上げ、目標に着実に到達する必要があります。
一方で、充実の芸術(art of fullfilment)という考えもあります。今持っているものに感謝し、満足する、というものです。
達成の科学と充足のアートは、世界No1コーチといわれるアンソニー・ロビンズの教えです。
よく、満足したら終わり、現状に満足したら進歩が止まる、と言われます。スポーツなどでも、常により上を目指し、貪欲により高いところを目指すのが常識です。
それに対し、充足のアートでは、今のままで十分すばらしい、といわば現状に満足するような感じのことを言っています。
今持っているもの一つ一つに感謝するのが充足のアートですが、向上心のある人にとっては、現状に満足するのは進歩を止めること、とも見えるでしょう。
私もこの2つの考え方をどう整理すればいいのか、矛盾しているのではないかと考えていました。
ただ、例えば、あまりいい環境でないところでスポーツをやっている場合、例えば、野球名門校でもないし、グランドはぼろぼろだし、監督、コーチも素人、選手も寄せ集めで何の実績もない、というところで、野球をやるとします。
その場合に、うちは設備も監督もひどいから最悪だ、どうせ勝てない、と思って練習をするのと、野球ができるだけでうれしい、今の環境の中で野球ができることに感謝して最善を尽くそう、と考えるのと、どちらがより実力が伸びるでしょう?
つまり、足りないものに不平、不満を持ちながら生きるのと、あるものに満足して感謝しながら生きるのと、どちらが自分に力を与えてくれるでしょう?
当然、今の環境に感謝し、いい感情の状態で生きる方が頑張れると思います。
会社でも、給料が安い、残業が多い、福利厚生が悪い、などと不平、不満を持って働くのと、そんなに多くはなくても給料をもらえるだけでも幸せ、仕事があるだけでもありがたい。福利厚生も無いよりはいい、と会社のいい点を挙げて満足している方がよい仕事ができると思います。
つまり、充足のアートとは、今あるものに感謝する、ということです。そして、感謝しつつ、自分の基準を上げて向上し続けるのが達成の科学、ということなのでしょう。
つまり、達成の科学と充足のアートは車の両輪、というわけです。
アンソニー・ロビンズの教えを伝えるだけでは
アンソニー・ロビンズのすごさを体験し、それを伝える人がかなり増えてきました。それはそれで非常にいいことではあると思います。
ただ、人によっては、アンソニーで学んだことなどを丸パクリで話すのですが、受講生にほとんど成果がでないセミナー講師もいたりします。
それはおそらく、アンソニー・ロビンズの本質が腑に落ちてないからではないかと思います。だから、結果が出るように話せないのでしょう。
セミナー・セールスだけがうまくて、受講生に結果を出させられないとしたら、そのセミナーセールスの手法は詐欺に近いものでしょう。
そういう意味で、トニーを教えるのであれば、本質を理解したうえで教えて欲しいと思います。
本質を理解している、とは、アンソニーの教えを実行して、実際に結果を出している、ということです。
以前アンソニー・ロビンズのセミナーに参加した浪人生に会ったことがあるのですが、DWDに行ってとても刺激を受けて、やる気がものすごく高まっていました。でも、何をやったらいいか、わかってなかったのです。こういう場合、やりたいことが見つかればいいのですが、それまでは空回りしてしまうでしょう。
やはり、アンソニー・ロビンズの教えを完全に消化し、実際にそれを使って事業なり何なりで成功した人が講演するのがよいように思います。
もちろん、事業が成功していなくても、アンソニーの理論を伝えるのがうまくて、受講生に成功者が続出するのであれば、アンソニー・ロビンズの言葉をそのまま伝えてもいいとは思います。
全くの丸パクリでも本質が理解できていてきちんと伝わって、結果が出るのであれば何の問題もありません。
同じ言葉を伝えるにしても、その差は非常に大きいと思います。